40th Anniversary | 40周年記念特集

「タバコについて」

みなさん、お元気ですか? 来生たかおです。

みなさんがお元気であれば何よりですね。

小生、来生たかおは、と言いますと、調子が良いのか悪いのか、わからないといった按配です。また、月日の経つのが速く、未だ怠惰な日々から抜けられずに、ちょいと焦っております。

しかし、ナンですね。世の中を視ますと、石原氏の豊洲移転、「築地か豊洲か」の小池氏の決定事案、オリンピックにかかりすぎる費用、土地8億円の値引き、100万円寄付した・してないの森友問題、保護者会の会長が実は犯人だったことや、北朝鮮の核の脅威が現実味を帯びてきたこと等々、怒り、やるせなさ、歯がゆさ……色々な思いが交錯し、小生は、益々ペシミスティックな気分になってしまいます。

この他にも、まだまだ諸々ありますが、実は、小生にとって、それ以上にペシミスティックな気分にさせられてしまう関心事があるんですね。それは、「タバコが屋内すべて禁煙」という、なんともやるせない条例が決定するかも、ということです。こんなことが決まったら、愛煙家の小生としましては「どうすりゃいいのよ」と困り果ててしまいます。

そこで、今回は恐縮しつつ、小生の「タバコ感」について述べさせていただきます。小生は、大阪のFM局でパーソナリティを務めた時、タバコに関する話をしました。駄文ではありますが、その時の文章を紹介させていただきます。異論はあろうかと思いますが 、そこはご斟酌を願う次第です。

21世紀に入って、パソコンや携帯電話が目まぐるしい進化を遂げ、今や、この世を凌駕する勢いのように見える。ふと、周りを見渡すと、パソコンや携帯とにらめっこしている人たちだらけで、「変な世の中になったな」と怪訝な思いがしてくる。と同時に「もう、この世の中にはついていけなくなったな」という、半ば諦めの思いも否めないが、それ以上に僕がこの時代に、どうにもならない齟齬を感じているのは、実はタバコであります。

僕は、かれこれ50年近くタバコをたしなんでいます。止めようと思ったことは一度もありません。タバコは大きな嗜好品の一つであり、仕事、特に作曲をする上で大事なものであって、これがなければ、まず曲は生まれないと思っています。ピアノの脇には、常にコーヒーとタバコが置かれていて、僕にとっては欠かせない必須の備品になっています。

そんな素晴らしい文化物だと思っているタバコが、いつの間にか悪者にされ、この世の中から排斥されようとしている。僕は、コンサートなどでタバコを擁護する話をしてきましたが、最近はもう「多勢に無勢」、無駄な抵抗だと諦めの域に入っておりまして、「こうなりゃ、自宅と自分の車の中で吸えりゃいいや」と開き直っている次第です。

しかし、昔からお酒と同じように庶民に親しまれてきた素晴らしい文化物を消滅させることは、間違っていると思っています。タバコが何故、こうも悪者になってしまったのかを考察してみますと、発端は1981年、イギリスの学会誌に載った日本の学者の「タバコには発ガン性がある」という論文でした。正確に言いますと、「吸い込む煙」より、副流煙という「吐き出す煙」の方が有害で、タバコを吸わない人でも、他人が吸っているタバコの煙でガンになってしまう、という恐ろしい論文だったわけです。このことは、当時、医学的根拠がなく、信憑性に欠けるとして認められなかったのですが、「タバコの煙に発ガン性がある」という部分だけをメディアが取り上げました。ちょうどその頃、アメリカでは健康ブームが起きていまして、「これ幸い」と禁煙を進める運動が起き、その流れが日本にもやってきたわけです。それまで、あまり気にせずに共生していたタバコを吸わない人たちが、「他人が吸っている煙でガンになるなんて、冗談じゃないよ」と動き出したんですね。

タバコの煙に発ガン性があるということは、明々白々とされているようですが、実は今でも科学的・医学的にハッキリと証明されてはおりません。証明されているのは、排気ガスやアルコールの発ガン性です。最近、獣医による研究発表で、喫煙者に飼われている犬と、そうでない人に飼われている犬とで、ガンの発生率は全くのイーブンだという結果が出たそうです。つまり、副流煙による発ガン性は、未だ、はっきりしていないということです。僕の家族は、ミニチュアダックス犬と暮らしていますが、もう14歳になる老犬で、人間の年齢で言うと80歳になります。我が家は夫婦でタバコをたしなんでおりますので、その犬はずっと副流煙の中で暮らしてきたわけですが、今でも元気です。ですから、副流煙に発ガン性があるということは、眉唾だと思っています。

では何故、タバコが悪者になったのか。最大の理由は、健康ではないと思っています。健康ブームと同時期に「きれいな街づくり」や「クリーンな世の中」を推し進める動きがありました。そう、「きれいな街づくり」において、タバコはどうしても排除しなければならない大きな物の一つだったわけです。タバコの煙で壁が黄ばむ、タバコの吸い忘れでテーブルを焦がしてしまう、タバコの灰でシートを汚してしまう等々、タバコを排除できたら、お店も、ビル内も、歩道も、手間やお金をかけずに「きれいな街づくり」ができる。これが最大の理由だったと推測します。うまく健康ブームに乗じて、「タバコには発ガン性がある」という不確かな、でも説得力のある文言を打ち出して、タバコを排除しようと目論んだのではないでしょうか。「タバコは身体に悪いんだ」という固定観念が宿ってしまった以上、昔のような時代に戻ることは無理なんでしょうね。

「喫煙文化研究会」の会長でもある脚本家のジェームス三木さんが、こんなことを言っておられました。「今、日本では年間3万人の自殺者がいるが、その中に喫煙者はほとんどいないというデータがあるんだ」と。確かに、今の社会は煩雑極まりない。こんな時代は人類の歴史上、かつてなかったわけで、ストレスという精神の病を生み出す温床だと考えられます。僕は、こんな時代だからこそ、むしろタバコの存在が必要だと考えています。

最後に付け加えさせていただきますが、タバコが本当に悪いものであるならば、とっくの昔に消滅しているはずです。
(2016年9月放送 FM COCOLO「THE MUSIC OF NOTE」より)

愛煙家にとって、くつろげる場所と言いますと、タバコが吸えるところになります。飛行機や列車での旅、良さそうなレストラン、趣のある喫茶店などでも、タバコが吸えなければ、くつろぐことが出来ません。「それじゃ、止めればいいじゃない」と言われるかもしれませんが、50年も親しんできた嗜好品を、そう簡単に止めることなど出来ません。

作家の故・池波正太郎さんは、こんなことを言っています。「人間というのは、善いこともすれば悪いこともする。それが人間だわさぁ。だから、白黒だけで分けるのではなく、中間色もあって然るべきだ」と。また、作家の故・山口瞳さんのエッセイに、こんな話があります。ご夫婦で映画を観に行った時、窓口に「60歳以上の方は1,000円で観られます」と書かれていたので、「私ら、60歳を過ぎているんですが」と言ったら、「何か証明するものはありますか?」と問われた。でも、運転免許証も持っておらず、何も証明するものがない。そこで、被っていた帽子を取ったら「ハイ、オーケーです」と言われたと。細かなルールを設け、管理社会の様相を呈して、益々ストレスが溜まる今、タバコに限らず、寛容が大事なのではないか……。そんなことをツラツラ考えている今日この頃です。

6月、7月は、久しぶりに忙しくなりそうです。あるアーティストのプロジェクトのサウンドプロデュースを手掛けることになったのですが、詳しくは、また次回にご報告できればと思っています。

それでは今日はこの辺で失礼します。ご機嫌よう。

祈、好日

2017年6月 来生たかお


トークセッションVol.1  トークセッションVol.2
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