「志村けんさんの死」
おしなべて哲学者は、それぞれ「死」について考えています。60年代に「実存主義」とやらで一躍若い人たちから絶大な支持を得たフランスのジャン=ポール・サルトル氏もその一人です。サルトル氏は、死についてとことん考えた。そして、考え抜いた結論として、「死は偶然の事実性である」と言ったんですね。
例えば、ある死刑囚が、近々処刑されると自分の死を確信し、来る日までを平静に送っていた。ところが、監獄の中で流行したスペイン風邪によってポックリ死んじゃった。死というのは、そういうものだと。また、パリ行きの列車が予定通りに出発すれば、予定通りにパリに着くだろうと期待したり、希望したり、予想したりする。死は、一見すると、そんなふうに思えるけれど、それは違うんだと。途中で事故が起こって、列車がパリへ着かないこともある。死というのは、この偶然の事故のようなものだとサルトル氏は言っているんですね。つまり、偶然の事故や事実によって死ぬというふうにしか、人間の死は存在しない。死について思考したり、宗教のように来世があるとか、天国があるとか、死後に浄土な世界があるとか、救済みたいに考えたりすることは無意味なことで、死は偶然の事実性に帰すると言っています。
志村けんさんも、まさか自分がコロナウイルスによって死ぬとは思ってもいなかったでしょう。訃報を知ったとき、昔読んだサルトルの死についての記述が、ふとよぎりました。謹んで哀悼の意を表します。
ところで、サルトル氏のその後の人生は、とても悲惨だったようです。故・山田風太郎氏の「人間臨終図巻」によると、サルトル氏は70年代に入って視力障害を起こし、作家廃業を宣言。以降はモンパルナス近くの小さな借家で、つましい生活をしていたようです。フランスの労働者の月収が5,000〜6,000フランだった当時、サルトル氏の収入は月3,000フランの印税だけ。レストランに現れるときも、よれよれの背広にレインコート姿だったとか。晩年は、高血圧、動脈硬化、糖尿病を患い、思考低下やめまい、顔面などの筋肉麻痺、運動失調などが相次いで現れて、最後には、ところをわきまえない排泄の不始末まで引き起こす「恍惚の人」となったそうです。亡くなったのは1988年4月15日(享年75歳)、肺水腫でした。
小生の年齢になると、なにか身につまされる思いがします。こんなこと、とてもじゃないけど……と願うけれど、どうなるかは分かりません。コロナ影響で社会情勢もどうなるかは分かりません。また、4月からのツアーもストップしてしまい、このこともどうなるかは分かりません。不安が募るばかりで、うつ的状態です。
それにしても、マスク2枚とか、わけの分からない給付金とか、なに、それ! お偉い方々が集まって考えた案が、こんなチープなものなのか。国、政府は、お金を出したくないのか?と思ってしまいますね。映画「わたしはダニエル・ブレイク」(お勧めします)の嘆く気持ちがよく分かります。
くれぐれも、皆さん、お身体に留意して過ごされてください。そして、コンサートが再開されたときには、是非、いらしてくださいね。
みなさん御機嫌よう
来生たかお 4月11日