40th Anniversary | 40周年記念特集

「昭和の風景」

 皆さん、お元気でしょうか?
 いい季節になりました。桜が散ったあとの葉桜もいいですね。

 さて、⼩⽣は最近、眼がめっきり衰えてきて、本を読むことが、結構、億劫になってきました。古い本を読み返そうとすると、⽂字が⼩さくて⻑く読めない。そんな按配ですが、今回は、⼩⽣がいいなと思った短篇のひとつを紹介します。
 いつ書かれたのか定かではないのですが、昭和の時代です。「鮨」というタイトルで、作者は阿川弘之⽒。タレント・エッセイストの阿川佐和⼦さんのお⽗さんで、8 年前に94 歳で亡くなりました。

 この短篇の主⼈公は年配の作家で(多分、ご本⼈じゃないかな)、
ある地⽅での講演を終えた帰りの駅のホームから話が始まります。そこには主催者の⼈間が何⼈か⾒送りに来ていたのですが、その⼀⼈が「⾞中で召し上がってください。ほんの弁当代わりですが」と紙袋を差し出してきました。上野まで3時間少々かかるし、ちょうど⼣⾷の時間帯で、その特急には⾷堂⾞が連結されていないということで、主催者側の⼼配りだったんです。中⾝は四⾓い折にきれいに納められた「巻き寿司」でした。
 その厚意はありがたかったのですが、実は、その作家は、東京に着いたあと、友⼈と⾷事の約束をしていました。その寿司を⾞内で⾷べてしまったら、⾷事を約束した友⼈に対して無礼だろうと、お弁当代わりの「寿司」を、実のところ持て余すことになるわけです。その作家には飢えた苦しい時代の記憶が残っていて、⾷べ物などを無駄にしてしまってもいいとは思えない。さて、どうしようかと考えます。
 例えば、家に持って帰るのはどうか。しかし、帰宅は夜中だろうし、誰も⾷べないだろう。翌⽇になれば、硬くなった寿司など無視されて、結局、ゴミと⼀緒に捨てられてしまうのが落ちだ。ならば、いっそデッキへ持って⾏き、くず物⼊れに叩き込んで忘れてしまえば、すっきりするかもしれない。いや、しかし、⼈の⼼づくしの⾷べ物を⼟⾜にかけるようなことは、やっぱりやっちゃいかんだろう。結局、思い悩んだ末、「上野の地下道には浮浪者がいる。その⼀⼈に⾷べてもらおう」と考えました。

 その年配の作家は、決して浮浪者を⾒下げているわけではありません。浮浪者というのは、あらゆる⼈間関係や社会のしがらみから縁を絶った、何ものにも拘束されない⾃由⼈だと、むしろ親愛の念、羨望の念に近い思いを持っています。⾃らをかえりみれば、絶対の⾃由とは程遠い⼈⽣だった。したいことをしようとすれば、常に誰かの眼が光っていた。学校の校則、軍隊での規律、⼥房の眼、友⼈、電話、⼿紙、仕事の約束、世間との付き合い、成⼈した⼦どもへの遠慮など、浮世のしがらみに縛られ通しだった。なので、なにかこう、敗北感を持っているようなところがあったんですね。
 しかし、上野に着いて、浮浪者がいたとして、じゃあ、どう話しかけて、納得のいく説明をして、快く寿司を受け取ってもらうのか。説明したら、どういう反応を⽰すのだろうかと、そこでまた考えあぐね、シミュレーションを始めるわけです。まず考えられる場⾯は、「もらってやるから、そのへんに置いていきな」と、つっけんどんに⾔われる。これは、さっぱりしていて、意外にいいのかもしれない。「よし、それじゃあ、お前、ちょっと、ここに座れ。俺がその寿司を⾷うから、お前もこの酒を飲め」となって、浮浪者と酒盛りになる。これはイヤだな。「そんなもの⾷えるか。俺たちは乞⾷じゃないんだ」と⾔われ、仲間が寄ってきて囲まれてしまう。これもイヤだな。そんなことを考えていたら、上野に着いてしまいます。

 そこには、やはり浮浪者がいました。こうなったら、思い切って話しかけてみるかと、⼀番⼿前にいた薄汚い紺のジャンパーを⽻織った男に「あのー」と声をかけます。何とも⾔えぬどす⿊い顔で、髪は乱れ、前⻭が⽋けている男は「なんですか?」という表情。作家が⼿短に事情を話し、「よかったら⾷べてくれないか」と早⼝で⾔いながら紙袋を持ち上げて⾒せると、思いがけないことに浮浪者は⽴ち上がって不動の姿勢を取り、⾝体を斜め前に倒して⼀礼すると「いただきます。ありがとうございます」と両⼿で寿司の袋を受け取ったんです。
 列⾞の中で想像したどの場⾯とも、まったく違う反応で、作家は恥ずかしい気持ちになり、「それじゃ」と⾔い残して⾜早に⽴ち去ります。しばらくして⼼が落ち着いてくると、胸に爽やかな感情が沸いてきました。それは、苦になっていた物を無事に始末できたという解放感だけではなかったという話なのですが、律儀な⼈柄、弱者へのやさしさが感じられ、なんでもないような⽇常の出来事を丁寧に描くと、こうも⾯⽩く、素晴らしいものなのだと感じた次第です。

 阿川弘之⽒の師匠は志賀直哉⽒なんですね。「鮨」は、志賀直哉⽒の短篇「⼩僧の神様」を思わせる作品で、映画にしたら⾯⽩そうです。さしずめ是枝監督に撮ってもらったら、とても⾯⽩い作品に仕上げてくれるのではないかと思ったりもします。

 それでは、今回はこのあたりで。また次回。ご機嫌よう

4⽉中旬 来⽣たかお




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